ショパンの《舟歌 Op.60》は、晩年に作曲された最高傑作の一つです。
ノクターンや幻想即興曲などと比べると、テレビなどで耳にする機会はそれほど多くありませんが、筆者はショパン作品の中でも特に好きな曲の一つです。
実際に演奏してみると、美しい旋律とは対照的に、二重トリルや重音、複数の声部を弾き分ける箇所など、技術的にも音楽的にも難しい部分が数多くあります。
この記事では、《舟歌 Op.60》がどのような作品なのかを簡単に紹介したうえで、実際に筆者が演奏するときに意識していることや難しいと感じる箇所、さらにおすすめのピアニストについて紹介します。
曲の概要
作曲・出版年が1845年~1846年であり、ショパンが35歳~36歳と晩年にあたる時期に作曲された作品となります。
演奏時間は約9分です。
「舟歌」という曲名通り、舟や水面の揺れ・水のきらめきが感じられるような箇所が多々あります。
また、ショパン自身がそのような意図で作曲したかはわかりませんが、筆者には人生になぞらえているかのような曲にも聴こえます。
演奏のポイント
筆者が演奏する上で意識していることを紹介します。
(あくまで筆者の解釈なので、このようにすべきという意味ではないです。)
本記事で掲載した楽譜は全てIMSLPに掲載された楽譜を基に筆者が打ち込みソフトで作成したものです。
ソフトの都合などにより、実際の楽譜と異なる場合があります。
また、文章中の音の表記はC・C#・C♭といった形にします。
序奏 1~3小節
物語が始まるような雰囲気のある序奏です。
筆者は日の出をイメージします。

この箇所は、右手が始まる部分からフォルテになっている楽譜が多いです。
つまり、最初の左手のC#の音には特に強弱の指定がないです。
筆者は深い音でかつ大きくなりすぎないように弾きます。
第一主題
左手のみの伴奏から始まり、その後右手のメロディーが加わります。
右手は基本的に2音の和音から構成されることから、まるで舟に乗っている2人が歌っているかのようです。

筆者は、上記7小節の赤丸の音と、7小節から8小節の青丸の音のつながりを意識しながら弾きます。
また、上記9小節の緑丸は、スラーの終わりとはいえクレッシェンドの終わりの音ですが、筆者はやや小さい音で落ち着いた音になるように弾きます。
15小節から出現するフレーズは、この後もちょくちょく現れます。
弾きにくいフレーズなので、手に馴染むように練習が必要です。
18小節にも同じフレーズがあり、最後のF#がオクターブで筆者は右手で弾くのは不可能なので左手で弾きます。
しかし、次の左手の音が結構離れているので、この方法も結構難しいです。
20小節は、個人的に舟歌の中で難しい箇所の一つだと思います。
まず十六分音符の和音の箇所は、デクレッシェンドしながらかつ上の音に少し重みを置いて弾くのが難しいです。
そしてその後にトリル(筆者は3と5の指で)をしながらメロディーを弾くのも難しいです。
23小節からは舟歌の難所である二重トリルが出現します。
手首や指に力を入れすぎずに弾きたいですね。
ベタですが、ゆっくり弾くことから始めて徐々にスピードを上げて弾けるようにするのが、結局一番近道だと感じます。
32小節がこのパートのピークだと思います。
フォルテから始まりデクレッシェンドしていきますが、フレーズの終わりでデクレッシェンドしきった部分は、和音の上の音は聞こえるように筆者はほんの少し強く弾きます。
間句
35小節からの第二主題へのつなぎ部分です。
poco piu mossoでテンポが変わります。
このつなぎの部分は筆者は無機質なイメージで弾きます。
第二主題
第二主題は調が変わり、左手の伴奏の形式も変わります。
左手が舟の揺れをイメージしていると筆者は思うので、伴奏が変わるということは波が変わったようなイメージですね。
43小節などで出現する6連符や8連符は、水の揺れやきらめきをイメージしたものではないでしょうか。
51小節からは右手がオクターブになります。
トリルからの装飾音つきのオクターブは、個人的に結構弾きにくく感じます。
手首を柔らかくするのを心がけます。

62小節からは細かい音符がなくなり、穏やかな印象のメロディーが続きます。
この部分は後のコーダで再現されるので、サラッと弾いて聴いている人の心に伏線として残るように筆者は弾いています。
71小節で長いトリルを弾いて場面が切り替わると、72小節から曲調が変わります。
深い霧の中に入ってしまい、迷っているようなイメージを持ちます。

78小節からまた曲調が変わり、霧の中で落ち着きを取り戻して、段々と霧が晴れていくようなイメージです。
再現部(第一主題)
第一主題が重厚になって帰ってきます。
霧が完全に晴れて、大海原を航海している舟をイメージして弾いています。

91小節の左手のベース音を少し重く弾きながらクレッシェンドさせると、コーダへの盛り上がりにつながります。

再現部(第二主題その1)
いよいよ舟歌で一番盛り上げる部分です。
これまで舟歌という名のとおり、舟旅をイメージした演奏としていましたが、これは一般的な舟旅ではなく、人生の舟旅ではないかと思っています。
つまり、あの世へ行くための舟旅です。
この部分では、人生で楽しかったことや嬉しかったことを走馬灯のように振り返るようなイメージで筆者は弾きます。
喜びを表現するのではなく、喜びを振り返ること、懐かしむことを意識します。
102小節の左手のオクターブのC#を、楽譜より1オクターブ低い音で弾くピアニストをときどき見かけます。
確かにそのように弾くと、より感動的に聴こえるような気がするので筆者も一時期そのように弾いていました。
しかし、よく楽譜を見ると、その前のソのトリルからデクレッシェンドになっているので、この部分はそんなに強く響かせる部分ではないのでは?と思うようになり、現在は楽譜どおりの音でかつ落ち着いた音で弾くように意識しています。

再現部(第二主題その2)
このパートまでは右手は基本的に和音となっていましたが、このパートからは右手が2つのメロディーに分かれる箇所が増えます。
筆者はこのパートを、舟に乗る2人の気持ちがズレていく様子をイメージします。
舟歌は全体的に長調なのに寂しい感覚を持つ曲ですが、特にこのパートはその気持ちが強くなります。
特に筆者は103小節と104小節に感動します。
107小節からは勢いを段々落としていき終結句に繋げるのがいいと思います。
終結句
曲のクライマックスです。
「色々あってしょうがないけど、これで良かった」というイメージを筆者は持ちます。
111小節の2回目のフレーズから115小節が始まる部分まで、筆者はソフトペダルを踏みます。
最後は高音から加速しながら低音まで弾き、別れを告げるかのような決然とした和音で曲を締めくくります。
主な音楽用語
| 用語名 | 意味 | 表記箇所 |
|---|---|---|
| Allegretto | やや速く | 曲頭 |
| cantabile | 歌うように | 6小節 |
| leggiero | 軽く | 14小節 113小節 |
| poco piu mosso | 今までより少し速く | 35小節 62小節 |
| sotto voce | ささやくように | 40小節 |
| meno mosso | 今までより遅く | 72小節 |
| dolce sfogato | 柔らかく軽く | 78小節 |
| piu mosso | 今までより速く | 93小節 |
| calando | 和らいで | 111小節 |
おすすめのピアニスト
舟歌を演奏したピアニストでおすすめの方を紹介します。
クリスティアン・ツィマーマン
すべてが計算されていると感じる緻密な演奏です。
しかも、緻密なのに機械的ではありません。弱音は非常に繊細で、クライマックスになると一気にスケールが巨大になり、最初から最後までを見通した構成力を感じます。
再現部(コーダ)の部分は、他のピアニストではあまり聴かないレベルで速く弾きますが、高い技術でしっかり弾き、キラキラした音がブワーっと水のように流れ込むかのようで圧倒されます。
また、102小節の左手のオクターブのC#を楽譜より1オクターブ低い音で弾いています。
第一におすすめしたいピアニストです。
ウラディミール・ホロヴィッツ
テンポの伸縮やダイナミクスの振れ幅が非常に大きく、聴く側の感情を揺さぶります。
また、音色の幅も広く物語の世界へグッと引き込まれます。
再現部(コーダ)では低音を響かせ、物理的にも心理的にも胸に響きとても感動します。
ホロヴィッツも、102小節の左手のオクターブのC#を楽譜より1オクターブ低い音で弾いています。
全体的に幻想的でドラマチックな演奏に感じます。
シプリアン・カツァリス
とにかく軽やかでお洒落な演奏です。
サロンで弾くのが好きだったショパンも、もしかしたらこのような演奏もしていたのではないかと思わされるような演奏です。
最後の和音を小さく弾くところもお洒落です。
カツァリスの演奏には「このフレーズはこんな歌い方もできるのか」という発見があります。
エリック・ルー
2025年のショパンコンクールの優勝者ですが、筆者が好きな演奏は2015年に出場したときの演奏です。
全体的にキラキラした演奏で、爽やかな印象を感じます。
特にコーダに繋がる91・92小節の盛り上げ方が素晴らしく、筆者自身も演奏の参考にさせて(真似させて)もらいました。
直近である2025年ショパンコンクールの優勝者なので、これからもどんどん活躍されていくのではないかと思います。
2015年に出場したときの公式動画がYoutubeにアップされているので紹介します。
おわりに
冒頭でも書いたとおり、舟歌はテレビ等の普段の生活の中で自然と耳にする機会は少ないです。
しかし、実際に弾き込むほど、旋律の美しさだけでなく、和声や内声、曲全体の構成の奥深さを感じる作品です。
人生が終わったあと、舟旅の先には大切な人や動物が待っている―そんな情景まで思い浮かべてしまう曲であり、亡くなった後の世界を感じさせてくれるような気がします。
筆者自身も一生を通じてレパートリーにしたい曲です。

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